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戦国時代の愛妻家!明智光秀と妻の物語は、本能寺の変にも影響?

 

ロバート山本さんによる連載「パパになりました!」の番外編!歴史ミニミニかみしばい。

第二回は「本能寺の変」織田信長を討った明智光秀にまつわるエピソード。反逆者のイメージが強い光秀の、ちょっと意外な一面です。


明智光秀は戦国武将の中でもミステリアスな武将と言われていますが、鉄砲の名手で公家文化にも精通し、教養豊かな武将でもあったのです。
そんな光秀に結婚の話が舞い込みました。


結婚の相手は妻木煕子(ひろこ)。
煕子はとても美しい女性でしたが、婚約後に病気にかかってしまい、美しかった顔には、痘痕(あばた)が残ってしまいました。

煕子の父はこの結婚を破談にしたくありませんでした。あばた顔の妻では、武将として箔がつかないだろうと、煕子によく似ていた妹を代わりに立てると言いました。


しかし、それを聞いた光秀は「煕子殿と結婚すると決めています。心の美しさは変わりません!」と即答したのです。
煕子も父も光秀の言葉に感動し、めでたく二人は夫婦となりました。


光秀が浪人時代に貧しい生活の中、急な来客が来ました。光秀はお客を迎えられないと、断ろうとしました。

しかし妻の煕子は、武将光秀の面子を保つため、自分の黒髪を切ってお金に換え、お客さんをもてなしたのです。


その後も、光秀と煕子は仲むつまじく、子宝にも恵まれた人生でした。

煕子が亡くなるまで、光秀は戦国武将では珍しく、側室を持たなかったといわれています。一途に煕子を愛していたのはもちろんですが、生活の中で思いやりと深い絆がうまれていたからではないでしょうか?

おしまい

■明智光秀

明智光秀は、戦国時代にしては珍しく側室を持たなかった人で有名です。「いたんじゃない?」って言う説があるものの、史実には残っていないのです。
当時は位が高くなるほど側室を持ち、子孫を1人でも多く残して一家を繁栄させようという考えの時代。側室がいないことはとても珍しいことでした。

とにかく男の子を!という風潮でしたが、女の子が産まれたら他に預けて、そこと縁組みして家族になることで勢力をどんどん増していた時代でした。

明智光秀は、子どもに恵まれたこともありますが、本妻・煕子さんを大事にした人としても有名でした。

結婚前に、煕子さんの顔には痘痕(あばた)という痣のようなものがあって、煕子さんのお父さんが「光秀殿の武将に、こんな痘痕のできているような娘をおくるのは忍びない、だから煕子の妹を出します」と提案したのです。
しかし、光秀は「私は煕子さんとの結婚を決めたのでやめてください」と断り、煕子さんを迎え入れたというエピソードがあります。

明智光秀が武将として成り上がる過程では、一時期光秀の主君がいなくなって、流浪の旅に出たんです。
お金はないけれど、でもそういう付き合い…武士同士の色々なつながりを保たなければならなかったのです。

そんな中、家で宴会をする順番が回ってきたのですが、お金がないから食事なんて出せない。お酒も出せないし、どうしようってなったときに、いざ(宴会を)やったら、立派な食べ物とお酒が用意されていたんです。
光秀が「これどうしたんだ?」と聞いたら、煕子さんがものすごい短髪で。長い髪を売って生活を支えたという逸話も残っています。

お互いが一途に支え合った明智夫妻。煕子さんが病気で亡くなるときもずっと看病を続けてたんです。
残念ながら煕子さんに先立たれてしまったのですが、その後に本能寺の変が起こっていることから、もしかしたら最後に死を覚悟して、「何か正しいことをしなきゃ!」と思ったのかなとも思います。

本能寺の変の是非は別として、奥さんのところへ行こうという気持ちもあったのか、決死の覚悟で起こしたのではないかとも言われています。
あの時代に愛妻家を貫いた明智光秀、心を揺さぶられるエピソードです。



ロバート 山本博

2018年で結成20年を迎える、お笑いトリオ・ロバートのメンバー。テレビ番組や劇場でのコントではツッコミとして活躍する一方、ボクシングのトレーナーとしてレッスンを開講したり、相方の秋山竜次から「むちゃぶり」で描かされた「むちゃぶりかみしばい」(文芸社)が出版されるなど、多方面に渡って活動している。

趣味:ボクシング(フェザー級、戦績:1戦1勝1KO、トレーナーライセンス取得)、ポケモン、お城巡り、蕎麦屋巡り、体を動かすこと
特技:ルービックキューブ、ロボットダンス、オカリナ、運動保育

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